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2022/07/23

【先生インタビュー】トミー先生に聞きました!

 ごきげんよう。

当校のNativeの先生、Tommy Casson(トミー・キャッソン)先生にインタビューを行いました。

瀧野川女子学園で働くNativeの先生達は、どんなきっかけで日本で英語教師になり、どんな想いを持って英語を教えてくれているのか、聞いてみましょう。


日本という国の存在を知る前から、日本のものが大好きでした

広報:まずは、簡単に自己紹介をお願いします。

Tommy先生:はい、Tommy Cassonと言います。英国のロンドンから来た26歳です。大学では分子生物学(molecular biology)を勉強していました。

広報:早速ですが、Tommy先生は日本に住んでどのくらいになりますか?また、瀧野川女子学園に来てどのくらいになりますか?

Tommy先生:2018年の8月に日本に来たので、もうすぐで丸4年になります。瀧野川女子学園で働くために来日したので、学校での勤務も同じく、もうすぐで丸4年になります。

広報:長いですね。そもそもですが、日本に興味を持ったきっかけはなんですか。

Tommy先生:理由はたくさんありますが、一つに絞るとしたら、僕は日本料理が大好きなんです。

料理は僕の趣味の一つで、大学に入ってからは食べるだけでなく日本料理を作ることも始めました。

広報:興味の対象が、「食べること」から「作ること」に移っていったのですね。

Tommy先生:そうなんです。まだ幼い頃、日本が何かもわかっていなかった頃から既に日本食が好きで、両親に頼んで、誕生日は日本食レストランに連れて行ってもらっていたくらい(笑)。

大きくなってから、自分の好きなものの多くは日本からきている事を知りました。

広報:そんな小さな頃から日本が好きだったんですね。

Tommy先生:そうなんです。だから日本に行って、本物の日本料理を食べたいと思っていました。英国では日本料理の食材を手に入れるのが困難なのです。例えば、僕は和菓子作りが好きなのですがあんこの材料。普通のあんこの材料ならまだしも、白あんや、寒天などは入手困難です。カボチャなどの日本野菜も同じく入手困難です。ですから、日本に来て本物の日本の食材が手に入ることも、喜ばしいことの一つです。

もちろん料理以外にもアニメやゲーム、歌舞伎、北斎の浮世絵、寺院、日本のJ-popなど他にもたくさん好きなものがあります!

日本語を教えてくれた先生の優しさに感銘を受け、自身も「先生」に

広報:来日する方法としてはいろんなアプローチがあったかと思いますが、なぜまた「先生」として来日することを選んだのですか?

Tommy先生:難しい質問ですね。日本自体に興味を持った理由は先ほどお話しした通りですが、僕は大学に入ってから日本語の勉強を始めました。日本に行きたい気持ちはあったけど、何がしたいかはまだわかっていませんでした。ですが、大学でとても優しい日本人の先生に出会いました。その先生に日本語を教わっていたのですが、その先生に教わるととても嬉しい気持ちになり、自分にとってはそれが日本語を学習する上でとても良い影響だったのです。

他の先生はもう少し厳しくて、先生がどう接するかによって生徒の学習に与える影響が変わるんだな、ということを感じました。

それを感じた僕は、先生を模倣したい、自分も先生になりたい、自分も誰かにこんな影響を与えたいと思うようになりました。

広報:では、その優しい先生が大きなきっかけとなったんですね。

Tommy先生:はい。最近連絡を取れてないのですが、また先生にはお会いしたいと思っています。

人生初の仕事が瀧野川女子学園での“教師”の仕事

広報:瀧野川女子学園に来て4年とのことですが、働いてみてこの学園の生徒についてどのように思いますか?

Tommy先生:みなさん、とても優しく、友好的で親切だと思います。僕が最初に日本に来た時は21〜22歳くらいだったのですが、初めて新しい国で生活するのはとても緊張しました。でも先生を含め、瀧野川女子学園の生徒たちはとても暖かく迎えてくれ、新しいNativeの先生に会うことをとても楽しみにしてくれていました。

優しくて、親しみを持って接してくれたので、とても歓迎されている、と感じることができました。

生徒達はとても礼儀正しくて元気で、教えているこちらが楽しい気持ちになります。

広報:学校や生徒達のことがとても好きなのですね。

Tommy先生:はい、とても。なので、ここで働けることをとても幸せに思います。

広報:この学校の英語教育については、どんな印象をお持ちですか?

Tommy先生:そうですね、僕は人生で初めての仕事が瀧野川女子学園での教師の仕事なので他と比べることはできませんが、日本中にいる英語教師の友人から聞く話から考えると、瀧野川女子学園にはNativeの先生がたくさんいて、それは日本ではとても珍しいことだと思います。

9名もNativeの先生がいる学校は珍しいし、たくさんのNativeの先生と話す機会を持てるので、生徒達はとても良い学習の機会に恵まれていると思います。

Nativeの先生だけでなく、日本人の先生がたくさんいることも良いことだと思います。Nativeの先生から教わるのとはまた違ったアプローチで授業を受けることができるので。

Nativeの先生から英語を教わることも大切ですが、私たちは生まれた時から英語を話しているので「英語を習った経験」がありません。一方、日本人の先生は自分たちが「英語を習った経験」があるので、その経験値を踏まえた貴重なアドバイスができます。

そういった側面からも、瀧野川女子学園の英語教育は、生徒の英語学習を十分にサポートしていると思います。

広報:確かに。日本人の先生がいらっしゃると、細かいニュアンスをすり合わせることができたり、先生方の経験値を通した観点からのアドバイスがもらえるので、そんなことができる瀧野川女子学園はとても貴重な英語教育の現場となっているのですね。

Tommy先生:もちろん、日本人の先生方は生徒だけではなくNativeの先生もサポートしてくれます(笑)。共に働くのはとても良いことだと感じます。

教師として、授業を行う上で大切にしていること

広報:Tommy先生が授業を行う上で大切にしていることはなんですか?

Tommy先生:教えるときは「生徒は一人ひとり違う」と言うことを意識していますし、どの生徒にも”できた”と実感できるチャンスを作りたいと思っています。

例えば、僕は視覚的な情報があると分かりやすいと感じます。生徒によっても、目からの情報があると理解しやすい子、耳からの情報があると理解しやすい子、生徒ごとに弱みや強みがあることを理解して、一辺倒ではなく、どの子も理解できるようなバラエティーに富んだ授業をしたいと考えています。

よくできる子はもっと理解でき、苦手に感じている子にも向上する機会になってもらいたいと考えています。

先生という職業を選んだきっかけにも通じますが、僕は僕の先生が自分にしてくれたように、優しい先生になりたいと考えています。なので、生徒が英語を話すことについて恐怖やストレス、プレッシャーを感じて欲しくはないのです。むしろ、リラックスして心地よいと感じて欲しいです。

怒ったり厳しくして間違えて欲しくはないし、間違えてはいけないとも思って欲しくないです。

大事なのは、今、理解しようと「挑戦」していることだと伝えたいです。

瀧野川女子学園で共に学びたいと考えている受験生へのメッセージ

広報:7月31日に学校体験があるのですが、瀧野川女子学園への入学を考えている受験生がたくさん来ます。受験生の皆さんに向け、メッセージをお願いできますか?

Tommy先生:たくさんの方に瀧野川女子学園に来てほしいです。学校体験でも、あかつき祭でも。大事なのは、みなさんの目で瀧野川女子学園がどんなところか見てもらうことだと思うので。たくさん質問してもらうことも大歓迎です。学校体験や説明会はそのためにとてもいい機会になると思うので、ぜひ自分の目で瀧野川女子学園を見てみてください。

〜余談〜

Tommy先生はとても手先が器用です。

「切り込み折り紙」が得意で、ご自分で作った作品を教員室の机に飾っています。

ご自分では「上手かどうかは分からないけど、とっても楽しい」とおっしゃっていました。

デザインはオリジナルで、
学校の学園祭のポスターで作っています。

折り鶴の肩から腰にかけて、円板が。
一体どうやったら作れるのか・・・。


いかがでしたか?

熱心で優しいトミー先生に会えるのは、瀧野川女子学園だけです。

7月31日(日)の「学校体験〜夏祭り〜」、ぜひ皆様の目でどんな学校か、みに来てください。

教職員一同、皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

【学校体験〜夏祭り〜の詳細はこちら】


2021/12/04

【後編】「東京都教育功労者」表彰の宮川教頭インタビュー!

ごきげんよう。

令和3年10月1日に「東京都教育功労者」として表彰された教頭・宮川先生(保健体育)へのインタビュー後編です!
今日は大学時代のお話から、瀧野川に着任されてからのICT導入についてのお話や、今の学園の雰囲気などをお伺いました。

<前編はこちら

向かって右が宮川教頭、左は本学園山口校長

※詳しい表彰の内容については『「東京都教育功労者」として宮川教頭が表彰されました』をご覧ください。

 

◆先生、家族、友人……いつも一緒に乗り越えてきた

広報:いつも先生が見守ってくれていたと。

宮川先生:それと家族、親ですね。決して甘やかされてはいないです。家では怒られてばっかりでした。

広報:そうだったんですか。

宮川先生:部活の練習が厳しくて、家に帰るのも遅くて。家でご飯食べるのも、家族はとっくに食べ終わった後だったんです。でも、母親は学校での仕事が終わって家事をしている最中でも、いつも食卓にいてくれました。そこで私がその日あったこととか、「明日の練習がなくなればいい」とかこぼすわけですね。そうすると、母は一言「じゃあ辞めちゃえば?」というわけです。でも、私も本気で辞めたくて言っているわけじゃないからね(笑)

広報:そういう時、ありますよね(笑)

宮川先生:あとは、友人にも恵まれたと思います。今でも瀧野川女子学園時代の、部活の友人とは繋がりを持っていますね。

広報:一緒に部活に取り組んできた仲はやはり深いですね。

宮川先生:そうですね、濃い時間を過ごしてきましたからね。いいことも、悪いことも一緒に乗り越えてきましたから。喧嘩もしました。でもやっぱり、それ(部活)が瀧野川での高校時代の一番の思い出ですね。当時の顧問の先生にも感謝しています。


 

◆バレー部のコーチとして母校・瀧野川へ

広報:大学に入られてからもバレーボールは続けてこられたんですか?

宮川先生:大学は東京女子体育大学に入学しました。入学して1年間は普通の学生生活をしたんです。サークルに入らずに、アルバイトをしたり、友人とお茶したりしましたね。サークルに入らなかったのは、バレーボールを続けようにも背が低かったので難しいな、と。

広報:そうだったんですね。

宮川先生:そうしていたら、大学2年生になった時に「瀧野川でバレーのコーチをしないか」と声がかかったんです。当時は他にもコーチがいたので、ちょっと手伝ってほしいというような感じだったんですけど、瀧野川に通うようになったんです。

 

◆ “押しつけ” ではない指導を目指して

広報:卒業生として、コーチとして、今度はそういった立場から瀧野川の生徒に接するわけですが、やはり気持ちに変化はあったんでしょうか。

宮川先生:やっぱり違いますね。指導者になったわけですからね。若い頃は「どうしてできないんだろう」って思っていました。「私自身が高校生にやってこられたことなのに、どうして彼女たちは同じことができないのかな」「私にできたんだから、彼女たちにもできるはずだ」っていう、今から思えば浅はかな考えが若い頃はありました。だからいつもイライラしていました。恐い “鬼コーチ” “鬼顧問” だったと思います。当時を知る卒業生も、卒業後に怖かったと話していました。

広報:そうだったんですね。

宮川先生:そういう様子を見て、「何やっているの?」と喝を入れてくれたのは母でした。家で「何で彼女たちはできないんだろう」とこぼしていたら、「それはあなたのエゴでしょ?」って言われたんです。「子どもたちは人それぞれ違う。あなたじゃないよ」「だからあなたの考えを押しつけてはダメ」と。「彼女たちがどういう目的で部活動をしているのか。あなたは試合で勝たせたいのかもしれないけど、そうじゃないかもしれないわよ」って言うんです。

広報:純粋に「楽しみ」を部活に求めているのかもしれない、と。

宮川先生:そう。だから「一方的にあなたの考えを “押し付ける” のではなくて、『勝ちたいな』って気持ちにさせるような指導をすればいいんじゃない?」と。それで、「『こういう(勝ったら嬉しいとか負けて悔しいとかの)思いもできるんだよ』って伝えながら導く教育をすればいいんじゃないの?」と言われたんです。そのことに気づかされてからは、気持ちが楽になりました。

広報:そうだったんですね。

宮川先生:やっぱり教員も、考えなきゃダメなんですよね。生徒がついてこなくなっちゃうんです。自分がされてきた指導、やってきたこと、そればっかり考えて、生徒が入れ替わっても同じように接していたら、いつまでも「どうしてできないんだろう」って感じてしまう。でも「それはエゴ」「生徒はそれぞれ、一人ずつ違う」「同じように指導していたらダメだ」と、このことに気づいて指導方法を変えたら、試合にはなかなか勝てなくなったけど、保護者の方からからは「よくここまで成長させてくれました」と感謝されるようになりました。自分の思いだけで突っ走ってしまってはいけないと若い頃に気づかされたのは、本当に良かったと思っています。

広報:本格的に瀧野川の先生になったのは、どういう経緯だったんでしょうか?

宮川先生:教員になった本当に “ご縁” で。たまたま体育の先生がお辞めになるタイミングで、球技の先生を探している、ということだったんです。

広報:なんとぴったりな!

宮川先生:そうなんです。バレー部のコーチもしているっていうことで、校長のお父様にあたる当時の校長先生が面接してくださったんです。「卒業生が母校で教員をするっていうことは、覚悟をもってあたってください」って言われましたね。そうやって、家族や周りの方々に恵まれてここまでやってきました。“気づかせてくれる環境” もありましたね。

 

◆ICT導入も、「まずやってみる」

広報:宮川先生は瀧野川がICTを導入する、まさにその時もいらっしゃいましたが、変化というのはどうだったんでしょうか?(現在のICT教育についてはこちら

宮川先生:もうとにかく大変でした。携帯電話も持ったのが遅かったですし、そもそも機械が苦手なんです。なので最初は「教員を続けていけるだろうか」と本気で思っていました。「もう一度学ぶことが、果たして自分にできるだろうか」と。

広報:大きな変化ですもんね…

宮川先生:でも、そんな時、父がかつて仕事で新しいシステムの導入に遭遇して、たくさん研修を受けて、克服してきたことを思い出したんです。それで「学ぶしかない」と。そう決めてからはもう、若い先生たちに「教えて」って声をかけました。聞くことは恥ずかしいことではありませんしね。なので、わからないことは聞いて覚えました。ICTに詳しい、若い先生たちは本当に快く、嫌がらずに教えてくれましたね。それでなんとか授業準備も、授業もできるようになりました。先生方には本当に感謝しています。

広報:「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とも言いますしね。助け合う環境があったんですね。

宮川先生:もう、本当に私の人生には感謝しかないですね。ICTも導入してみると活用方法がたくさんあるんです。すごく助かりました。体育の実技でも、動画を撮ったりして “見直し” がすぐにできるんです。すごく便利ですね。

広報:やはり「やってみる」ということが大事ですね。

宮川先生:そう、「やってみる」ことが大事なんです。やってみることでわかることがある。やってみてダメだったらそう説明ができますけど、やっていないうちから諦めるというのは、ないです。

 


◆信頼できる同僚がいることのありがたさ

広報:今の学園の先生の雰囲気はどうですか?

宮川先生:先生はまずすごく明るい先生が多いですし、何より「研鑚」する、要は教材研究でも研鑚力のある、自分の知識を広げようと努力している先生が多いです。あと教頭としては、話せる仲間、なんでも年齢関係なく誰にでも相談できる環境をもっと整えたいと思っていますね。周りが見えて、困っている先生がいたら自然と声がかけられるような、教員同士でもそういう環境を目指しています。

広報:とてもいい雰囲気に見えます。

宮川先生:私自身、教頭という立場になりましたが、年齢関係なく信頼できる同僚が周りにいるというのはありがたいです。

 


◆生徒たちが思いっきり、好きなことができるようにしたい

広報:では、生徒のみなさんはどうでしょうか?

宮川先生:そうですね、今は、特に中学・高校1年生くらいは新型コロナウイルスの影響で小学校後半や中学生活を満足に送れなかった生徒も多いじゃないですか。つらい思いもたくさんしてきたと思います。

広報:落ち着いてきたとはいえ、まだまだ難しい状況です。マスクも外せませんしね。

宮川先生:マスクをしているから顔も半分しか見られなくて、お互いの表情が読み取りにくい。そういうこともありますよね。

広報:疑心暗鬼になりそうなところもあるかもしれません。

宮川先生:そうなんです。なので、少しでもこれまで通りの学校生活が送れるようにしたいですし、そういう苦しんできた生徒たちの思いを汲んで、彼女たち自身が新しい目標を見つけてそれに向かっていけるように、導いていきたいですね。生徒たちが勉強もクラブ活動も、やりたいことを思いっきりやっていけるようにしたい、現場の教員は本当にそう思っています。やっぱりオンラインでは伝わらない部分があります。学校生活は対面が基本ですから。

広報:そうですね。

宮川先生:「瀧野川はiPadもあってオンラインでできるからいいじゃないか」と他校の先生はおっしゃるかもしれませんが、それはあくまで手段の一つであって、 “対面での指導” これが一番大事です。心と心を寄せ合い、相手の立場に立ってものを考えるというのも、相手と顔を合わせたりその人全体の様子を見ないと、汲み取ることはできないんです。それは生徒同士もそうですし、生徒と教員とのコミュニケーションにも言えることです。

広報:オンラインだと、一枚フィルターがかかってしまう部分があるかもしれません。

宮川先生:そう。フィルターがかかっちゃう。だから瀧野川女子学園も、あくまで対面授業。生徒と向き合って、一緒に成長できたら一番いいですよね。私も生徒たちからたくさん学びました。たくさんの思い出もありますし、教員として成長もさせてもらいました。保護者の方々からも、教わったことがたくさんあります。

 

◆人生は学びの連続。それをやめてはいけない

宮川先生:人生、本当に「学び」だと思います。それをやめてはいけないと思います。何かあった時、そのたびに振り返って「あの時はこうだったな」とか考える。それは大事だと思います。私の場合はそれに加えて、周りに、何かあるたびに怒ってくれたり励ましてくれたりする人がいました。だから教員を続けてこられたんだと思います。

 

◆挑戦することで得られる「糧」が自信になる

広報:では最後に、このブログを読んでくださっている方へメッセージをお願いします。

宮川先生:はい。瀧野川ではたくさんのことが学べると思います。それは「挑戦することの大切さ」、要は “やってみなければわからない” ということ、そしてその「挑戦したことで得られること」。これからの人生の財産、糧(かて)となることを学べる・見つけられる学校です。「糧」というのは「自分のためになる」ということ。必ずしも “役に立つこと” だけではありません時には苦しい思いもするでしょう。でもそれを乗り越えられれば、その経験が自分の「自信」になります。私はこの瀧野川で自分の歩む道を見つけました。ぜひ瀧野川女子学園で3年間ないし6年間、友や教員と一緒に、学校生活を送りましょう。

広報:先生、これまでのご経験や実感のこもったメッセージ、ありがとうございました!

 

「あまり瀧野川のことばかり話すと、“瀧野川一筋” で、外の世界を知らないんじゃない? って思われる方もいるかもしれません。ですが、私は決して外を見ていないわけではなくて、教員をしながら別の世界の人とも繋がりをたくさんもってきました。ONとOFFというのかな。学校の先生をしている友人だけでなく、他のお仕事をしている友人もたくさんいます。そういう友人からもたくさんのことを学んできました」と、宮川先生。

プライベートでも常に前向きに、多くのことを吸収されてきたその姿勢に、こちらも背筋が伸びる思いでした。

2021/11/30

【前編】「東京都教育功労者」表彰の宮川教頭インタビュー!

 ごきげんよう。

今日は令和3年10月1日に「東京都教育功労者」として表彰された教頭・宮川先生(保健体育)に喜びの声と、先生の“母校”でもある本学・瀧野川女子学園への思いなどについて、お話を伺いました!

向かって右が宮川教頭、左は本学園山口校長

※詳しい表彰の内容については『「東京都教育功労者」として宮川教頭が表彰されました』をご覧ください。


◆表彰については「とにかく感謝しかありません」

広報:この度はおめでとうございます! まずは一言いただけますでしょうか。

宮川先生:賞をいただけるなんて思っていませんでした。なので、校長先生、副校長先生をはじめとする教職員・学校関係者の皆様、それから、とにかく家族に、感謝の気持ちしかありません。ここまで夢中でやってこられたのは、そういった周りの皆様や諸先輩方のおかげだと、いつも思っていることですが、改めて思いました。こういう賞をいただいて、これまでを振り返った時に「感謝」しか浮かばないということにも喜びを感じています。「誇り」とかそういう気持ちよりも先に「感謝」の気持ちが湧いてきたことは、「謙虚でいる」ことの大切さや「初心を忘れないでいよう」と思っている私にとって、とても嬉しいことでした。

 


◆やってもいないのに「できない」と言わない

広報:宮川先生は高校時代をこの瀧野川女子学園で過ごされています。入学のきっかけは何だったんでしょうか。

宮川先生:中学は地元の公立校で、運動が好きだったので、部活動、バレーボールばっかりやっていました。高校受験についてなかなか進学先を決めきれずにいた時に、担任の先生が瀧野川女子学園を勧めてくれて。それで普通科・進学コース※に決めました(※当時は普通科の他に商業科もあり、普通科は進学コースと一般コースに分かれていた)。高校卒業後も進学して、何か資格を取りたかったのでね。

広報:瀧野川でもバレーボールは続けられたんでしょうか。

宮川先生:最初は、高校ではやらないつもりでいました。中学校で結構強いチームにいて部活に打ち込んできたので、今でいう “燃え尽き症候群” になってしまって。でも、同じ中学で同じバレー部に所属していた仲間と一緒に、仮入部に行ってみたんです。瀧野川は当時、バレーボールもバスケットボールもとっても強かったんでね。で、仮入部で実技のテストがあったんですけど、そこで選手チーム(一軍)に選ばれてしまったんです。自分としてはあくまで “仮入部” だったんですけど、そのまま “入部” 。上級生に混ざって練習するようになってしまって、抜けられなくなってしまったんです。

広報:なんと。

宮川先生:一度足を踏み入れたのに、ましてや まだ本格的に部活をはじめてもいないのに、「や〜めたっ!」っていうのはできなくて。「一回やってみて、それでダメだったら次を考えればいい」って思いがあったんですね。

広報:試してみないことには、何も始まらない、と。

宮川先生:今も昔もよく聞かれる「勉強と両立できるかわからないから部活はしない」とか、そういうのは違うな、って思っているんです。私自身、小さい時から何事も「一回やってみることを大切にしてきたというのもあるかもしれません。なので、仮入部のつもりだったけど、「あれ? できそうかな?」って思って、高校でもバレーボールを続けることにしたんです。

広報:なるほど。

宮川先生:中学の時までは先生の言うことを聞いていれば大体のことがうまくいきますけど、高校からは違います。そうはいかなくなる。自分で考えて行動する必要が出てきます。なので、ちゃんと自分自身で考えて決めました。「高校でも部活もやってみよう」「バレーボールをしよう」と。だから、さっき言った“燃え尽き症候群”とは違うかもしれませんね。中学までは先生に「ああしなさい」「こうしなさい」って言われてその通りにやったら本当にできて、それで「わぁ! やったー!」「できた!」ってなりますよね。大人の助言を素直に吸収できる子は大概のことができるようになって、それで、やり切った感が出てしまう。

広報:“満足” してしまう、んですかね。

宮川先生:そう、満足してしまう。でも、実はそうじゃない。本当の意味で何かができるようになったり、何かをやりたいって思えるようになるのは高校生からだと、私は思っています。当時もそんな風に考えていたところがあって、「自分で考えて前に進む」姿勢の大切さを瀧野川で学びましたね。高校ではバレーボールはしないと思っていたのに、学校の雰囲気や、部活の先輩たちの練習への取り組み方などを見て、自分もやってみたくなったんです。結果的に、私は “部活っ子” になりました(笑)決して模範生ではなかったです。

 


◆強くなりたい一心でバレーボールに取り組んできた

広報:部活の雰囲気はどうだったんですか?

宮川先生:本当に練習ばっかりの部活で、休みのたびに合宿もありました。当時はバスケットボール部と合同で行っていたんですが、バスケットボール部は当時、全国大会や国体、インターハイに出場するくらい強かったんです。バレー部は出られなかったので、悔しくて、「なんとか行きたい!」という思いで日々練習していました。

広報:ライバル部、だったんですね。

宮川先生:そうですね、ライバルでした。お互いチームスポーツですしね。バスケットボール部の人たちが本当にすごかったですから、羨ましかったですね。当時は6月に修学旅行があったんですけど、バスケットボール部はインターハイに向けての練習があるから(修学旅行に)行かないんです。バレー部はまだそこまでではなかったので、本当は自分たちも残って(近く予定されている試合のために)練習したかったですけど、それが許されなかった。なので修学旅行にボールを持って行って、旅先で練習していましたね。

広報:強くなりたかった。

宮川先生:そう、強くなりたかったんです。強くなりたい一心で、高校時代は部活に取り組んでいました

広報:本当に部活漬けの高校生活だったんですね。

宮川先生:そうですね。部活オンリーでした。勉強は、ギリギリのラインで両立していましたね(笑)

広報:ちなみに、先生は何がきっかけでバレーボールを始めたんですか?

宮川先生:当時、バレーボールが流行っていたんですよ。それこそ「アタックナンバー1」とか「サインはV」とか、小学校6年生頃から中学生にかけてすごく流行っていたんです。テレビでやってたんですよ。それがきっかけですね。

 


◆瀧野川での生活がきっかけで教師を目指し始めた

広報:お母様も教師をされていたとか。

宮川先生:そうですね、小・中・高校の免許を持っていましたね。専門は家庭科の被服でした。最後は東京都の小学校の先生で、ピアノもできて、習字もできて、なんでもできる人でした。

広報:では先生が教師を目指したのも、お母様の影響が強かったんですか?

宮川先生:それはね、実は瀧野川で高校生活をしている中で考え始めたんですよ。

広報:そうなんですか。

宮川先生:当時いらっしゃった先生が、すごく熱心に指導してくださって、教え方が上手だったんです。なんか魅力的に感じたんですね、その先生の、生徒に対する接し方が。それで、私は運動しかできないなとか、人との関わりが好きだな、とか(考えて)。みんなで協力するチームプレーとか、そうやって頑張った気持ちをみんなで分かち合いたいっていう思いも強かったんですね。なので(私も教える立場になって)、生徒たちに同じような気持ち(みんなで何かを成し遂げた時の達成感)を味わってほしいな、手を貸したいなと思うようになったんです。

広報:そうだったんですね。

宮川先生:高校1年生の時に自分が挑戦したこと、バレーボールを続ける決心をしたことも、スポーツフェスティバルとかクラスのみんなで取り組んで「やったー!」ってなったことも、バレーの大会で「勝った!」とか「負けて悔しい」とかね、そういう思いを瀧野川でいっぱい経験してきたんです。それをいつも見守ってくれていたのが “先生” だった。それで「先生っていいな」「喜びも悲しみもみんなで共有できたらいいな」と思ったんです。

広報:なるほど。

宮川先生:だから私は教師になってから、学校行事などは絶対に、生徒たちにやらせっぱなしにはしなかったです。一緒に取り組んできました。楽しんだり、失敗したことも一緒に次に繋げられるようにしてきました。それはさっき言ったように、瀧野川ではいつも先生が一緒になってやってくれたり、そばで見守ってくれていたから。公立の高校に行っていたら、教師は目指さなかったかもしれません。

 

続きは次回【後編】へ! お楽しみに!

2021/05/25

【先生インタビューvol.30】小島先生(現代社会・日本史)に聞きました!

ごきげんよう。

本日より「先生インタビュー」再びスタートいたします!
トップバッターはこの方です!

小島先生(地歴公民)

野球に打ち込んでいた中高時代

広報:ごきげんよう! よろしくお願いいたします。

小島先生:よろしくお願いします。

広報:さっそく、自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?

小島先生:はい。小島です。教科は地歴公民科です。主に高校2年生、3年生の現代社会と日本史を担当しています。

広報:部活動はいかがですか?

小島先生:部活はテニス部の顧問をしています。

広報:テニスをやられていたとか?

小島先生:いえ、テニスは初心者です。ずっと野球をしていました。

広報:そうなのですね! “ずっと”ということは・・・?

小島先生:小学生の頃から、大学まで、ですね。大学は部活としてではなかったですけど、続けていました。

広報:では、中学・高校時代に打ち込んでいたことっていうと・・・?

小島先生:そうですね・・・野球、ですね。本当に野球しかやっていなかったです(笑)

広報:あははは(笑) 

※先生は謙遜しておっしゃらなかったですが、都立高校で東京都ベスト16の強豪校にいらっしゃったようです。

広報:ちなみにどちらのポジションだったんですか?

小島先生:ピッチャーでした。

広報:勉強はどうでしたか?(一応お尋ね)

小島先生:勉強は全く、でしたね。全くやっていなかったです。

広報:あははは(笑)では先生になろうと思ったのは、いつからだったんでしょうか?

小島先生:そうですね、中学生の終わりの頃だったと思います。漠然と「野球部の顧問がしたいな」という思いがあったんですよね。

広報:なるほど!

小島先生:それで“教員免許を取ろう”と思いました。

広報:“野球部の顧問になりたい”と思ったのは、やはり顧問の先生を身近で見ていたからでしょうか?

小島先生:そうですね。それを見て「やってみたいな」と思うようになりましたね。特に小学校の時の監督からはたくさんのことを教わりました。


大学では離島へ調査・研究に行った

広報:そうだったんですね。では、教員を目指されて、なかでも地歴公民科の先生になろうと思ったのはどうしてだったんでしょうか?

小島先生:最初は何も考えていなかったんですよね。大学は農学部だったんですけど、そこで取得できたのが地歴公民科だったんです。

広報:農学部! 何を学ばれていたんですか?

小島先生:主に「食料環境政策」ですね。

広報:食料環境政策・・・? どんなことをされるんでしょうか?

小島先生:うーん、大きく言うと地方に行って、地方自治を勉強したりですとか、地元の農家さんにお会いして、話を聞いたりしました。その土地の特産品とかですね。それ以外にも、そこで企画しているイベントや行事などがあったら参加したりしました。

広報:面白そうですね。印象に残っている地方はどちらですか?

小島先生:そうですね、鹿児島県の与論島ですかね。

広報:与論島! 与論島では何をしたんですか?

小島先生:私は教職も取っていたので、島唯一の高校に行って、いろいろ話を聞きました。授業中だったので生徒の皆さんとはお話しできなかったんですけど、先生方とお話ししましたね。

広報:どんなお話しをされたんですか?

小島先生:例えば、与論島の特徴とか。一つあげるとしたら、お弁当ですかね。

広報:お弁当?

小島先生:与論島ってすごく気温が高いので、お弁当を長い時間教室に置いておくと傷んでしまうんですね。なので、農家さんのご家庭が多かったんですけど、保護者の方は朝のお仕事を終えたら昼間、学校の靴箱に届けに来るんです。

広報:そうなんですか! それはすごい! やっぱりその土地々々の文化ってあるんですね。

小島先生:そうですね。


オンラインでも話し合いの時間を

広報:では少し話題を変えて・・・瀧野川の生徒の印象はどうですか? 

小島先生:素直な生徒さんが多いですね。

広報:本当に、そうですね。今はオンラインで授業※をしていますが、授業でポイントにしていることとかありますか? (※現在はオンライン授業を実施。詳しくはこちら

小島先生:そうですね、ずっと穴埋めをしていたりすると飽きると思うんですよね。なので、特に専門の現代社会の方は、考える時間というか、できるだけ話し合いの時間を多く取るようにしていますね。


在校生へのメッセージ

広報:では最後に、今はなかなか(直接)会えない在校生に向けて、メッセージをお願いできますでしょうか?

小島先生:そうですね・・・話すことは好きなんですけど、ちょっと人見知りなので・・・(笑)最初はうまく話すことができないかもしれないんですけど、どんどん話しかけてくれると嬉しいです。テニス部にもぜひ、入ってください!

広報:小島先生、ありがとうございました!


緊張した面持ちでインタビューに答えてくださった小島先生。お休みの日は何をされているんですか? と聞いてみたところ、「倫理や現代社会についての本を読んでいます」との答えが。 なんとも、勉強熱心です。

さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!

2021/01/22

矢木先生がテレビで紹介されました!

ごきげんよう。

数学科特別講師の矢木先生が、「マツコの知らない世界」(1/19放送回)で紹介されました!

番組では「受験参考書の世界」として、受験参考書のコレクターであるプレゼンターの方が、受験の時に通っていた代々木ゼミナールで、カリスマ講師と呼ばれる先生が存在したというお話があり、その中で矢木先生が紹介されました。

矢木先生は、代々木ゼミナールの通信衛星授業「サテラインゼミ」の第一回から担当するなど、長年受験生に数学を教えていて、特に医歯薬に進学する受験生を対象とした講座を担当していました。

そして今、瀧野川女子学園の数学科特別講師として、「数学特別授業」を担当されています。数学特別授業というのは、放課後に開講している数学の授業で、希望する生徒は誰でも受講することができます。

2020年度大学入試で、本学園で6年間学んだ生徒が、東京女子医科大学医学部に公募推薦にて現役で合格しましたが、この生徒も矢木先生の授業で数学の力を伸ばしていきました。

生徒の大学合格体験談にもあるように、矢木先生の授業では、一つの問題にじっくりと取り組み、解を出すことだけでなく、解法にも注視して問題に向き合います。問題に粘り強く向き合う力をつけることが、医学部現役合格に繋がったと生徒の声にもありました。

教育のICT化によって授業は効率よく進み、授業中に演習の時間を十分にとることができるようになり、さらにカリキュラム改定に伴い新設したゼミ制度では、授業時間内に学習指導要領の枠を超えた専門性の高い内容や、大学入試改革に対応した講座を受講できるようになりました。放課後の特別授業だけでなく、普段の授業から、生徒の力を伸ばす本学園独自の教育の特色があります!

これからも生徒にとってより良い教育に取り組んでいきます。ご期待ください!

2020/12/19

【先生インタビューvol.29】ジョシュア先生(英語)に聞きました!in English

ごきげんよう。

最後の先生インタビューは初の英語バージョンでお届けします!
わかりやすい英語でお話ししてくれましたので、ぜひ最後までお読みください♪ Let's try!

Mr.Joshua(English)

Live in Japan for 8 years

Interviewer: Hello! GOKIGENYO! First of all, I'm not good at English. So...please use simple English. Well then, please introduce yourself.

Mr.Joshua: OK. My name is Joshua and I'm from the United States of America. I have lived in Japan for 8 years. I've been teaching at Takinogawa school for 5 years.

Interviewer: So long.

Mr.Joshua: Yes, I feel very lucky to teach at this school. I studied History in University, but now, I teach English. And my hobby is reading books and going hiking.

Interviewer: What kind of book do you read? 

Mr.Joshua: I like mysteries and I'm reading a Miyuki Miyabe book now.

Not only learning English but also speaking ability

Interviewer: Thank you. Then, what classes do you teach?

Mr.Joshua: I teach all grades, from junior high school to high school. My classes are  conversation classes. So, I want to teach students English conversation skills. So they can practice speaking and talking together.  

Interviewer: So they speak only English in class.

Mr.Joshua: Yes, only English. 

Interviewer: What is the point of the lessons?

Mr.Joshua: I hope that, in my class, students can get confident in speaking English. And I hope they feel comfortable, even if they make mistakes, to keep trying and trying to speak more. And I hope that they learn English skills as well as speaking skills.

Interviewer: I think everyone doesn't want to make  mistakes, so everyone will not talk. 

Mr.Joshua: Maybe they are nervous. I'm from America, in our schools, all students must speak a lots and share their opinions. I hope, even  though we are in Japan, I can help students share their opinions and talk about their ideas and their dreams. I hope they can feel comfortable talking in my class. 

Interviewer: It's important to talk a lot. 

“I really like the teamwork, the power of supporting each other.”

Interviewer: Then, what is your impression* of Takinogawa students?(*印象)

Mr.Joshua: I think Takinogawa students are very polite* and very kind. I really like the teamwork, the power of supporting each other, and I enjoy their energy.(*丁寧)

Interviewer: Are students actively taking classes? 

Mr.Joshua: I think so. Even if the class is difficult, they always try their best. So I hope even if English is difficult or confusing*, they continue to try their best and keep talking. (*まぎらわしい)

Interviewer: It's important to keep talking.

Mr.Joshua: I think so, too.

"I loved learning about different places"

Interviewer: Next, I want to ask about your junior high school and high school experience. What were you interested in?

Mr.Joshua: When I was a student, I loved books and stories. So now, in my class, I like when students can tell stories and can read and talk about books. That makes me happy. And when I was a student, I loved music.  

Interviewer: What kind of music?

Mr.Joshua: I played in a Jazz band, I played jazz trumpet. 

Interviewer: Really!

Mr.Joshua: Yes, I loved jazz music.

Interviewer: Are you still playing the trumpet?

Mr.Joshua: I'm very bad, but I enjoy playing it.

Interviewer: You said that you studied history in university, so history was your favorite subject?

Mr.Joshua: Yes. Even though I'm now English teacher, I loved reading books about history and stories. 

Interviewer: What history?

Mr.Joshua: I loved World history. I loved learning about different places, Africa, Asia...it was very interesting. 

Don't stop studying” 

Interviewer: Then next question, when did you start learning Japanese? You speak Japanese very well.

Mr.Joshua: Hahaha, I'm very bad! When I was high school student, my school had a Japanese class. And, my older brother studied Japanese and he showed me KANJI. I thought “KANJI are beautiful!” and “I want to learn Japanese!”. So tried Japanese, but it was very difficult. After I finished school, I forgot a lot. 

Interviewer: Hahaha

Mr.Joshua: So when I moved to Japan, I had to study more. So I try to tell students ”Don't stop studying”.  

Interviewer: I have to study English more and more, too.

Mr.Joshua: I have to study Japanese, too.

Teaching English in Japan

Interviewer: Why did you decide to teach English in Japan?

Mr.Joshua: Well...I was working as a butcher*. It was very fun, but very cold and very dangerous. My father recommended going to Japan. So I thought it was a good chance to experience a new culture, and I wanted to study Japanese again. I came here and met many kind people, so I'm very happy to have a new start.(*お肉屋さん)

Interviewer: Is that so? 

Mr.Joshua: I love books and stories, so teaching English is a chance to share stores and talk together. I think it's really fun and interesting to do that.

Interviewer: Is it difficult to teach English in Japan?

Mr.Joshua: I think Japanese and English are very different, the grammar and the vocabulary. So I know it's a challenge for students. English is different from Japanese. When I teach, I try to built from very simple English so that they can start with something easy and then become more and more interesting. 

Interviewer: In Japan, I think, everyone feels that English is complicated*. (*複雑な)

Mr.Joshua: In America, we think Japanese is very complicated!

Interviewer: Hahaha, that's right.

Mr.Joshua: Maybe both languages are difficult. 

Message for preparatory students

Interviewer: Finally, Please give a message to preparatory students*.(*受験生)

Mr.Joshua: Even though English is difficult, I think learning to speak English is very fun. When you speak English, it's OK to make mistakes and it's OK to have trouble, so keep trying and trying. That is the best way to build confidence* and to enjoy communication with people.(*自信)

Interviewer: Thank you very much!


いかがだったでしょうか?
「間違ってもいいからたくさん話しましょう」というお言葉には勇気づけられますね。
私も英語の勉強をし直そうと思いました!


2020/12/17

【先生インタビューvol.28】明石先生(物理)に聞きました!

ごきげんよう。

今年もあと2週間! 先生インタビューも佳境に入ってきました。
さっそくお話を聞いてみましょう!

明石先生(物理)

バレーボールに打ち込んでいた中高時代

広報:先生、ごきげんよう。よろしくお願いいたします!

明石先生:よろしくお願いします。

広報:ではさっそく、自己紹介をお願いいたします。

明石先生:はい。明石と申します。クラスは高校3年生の特進コースの担任をしています。教科は理科で、物理をメインに教えています。部活動はバドミントンの顧問をしています。

広報:先生はバドミントン、されてたんですか?

明石先生:いえ、私自身は中学、高校とずっとバレーボールをしてきました。

広報:そうなんですか! ポジションはどこだったんですか?

明石先生:中学のときはレシーブ専門のリベロで、高校のときはセッターもしていました。

広報:では中学、高校と、部活に打ち込んでらしたんですね。

明石先生:そうですね。ずっと部活のことばっかりやっていて、正直言うとあんまり褒められた生徒ではなかったですね(笑)勉強は……好きじゃないわけではないんですけど、どうしても練習で体力を使い切ってしまって、なかなか授業のほうに集中ができなかったんですよね。

広報:ちょっと寝ちゃったり?(笑)

明石先生:ですね……(笑)


“目で見られない光”をパラボラアンテナで観測していた

広報:理科はそのころからお好きだったんですか?

明石先生:はい、そうですね。中学のときの理科の先生が不思議な先生で、“その先生が面白い”っていうのがきっかけで、理科も面白いと思うようになりましたね。

広報:どんな先生だったんですか?

明石先生:見た目はスキンヘッドの先生で、授業は、教科書を前からではなくて“後ろ”から教えていくような先生でした。どうやってたんだろうって、いまだに不思議なんですけど。

広報:“後ろ”から!

明石先生:それで理科を好きになって、中でも一番得意だった物理が好きになりましたね。

広報:ご専門は何ですか?

明石先生:大学は理学部に行きまして、学部生のときは惑星系について研究している研究室に入りました。

広報:いま“惑星”は何かと話題ですよね!(はやぶさ2が小惑星から帰還したばかり)

明石先生:そうですね。私が所属していた研究室では、“地球以外の、地球みたいな惑星が存在するのか”ってことについて研究していて、私はそのなかでも“重力レンズ効果”について研究していました。

広報:“重力レンズ効果”……?

明石先生:そもそも“重力レンズ”がどういうものなのかと言いますと……“星”みたいに重たいものがあると、その周辺の“光”が曲げられるんです。そうすると、その星の周りを通過していった光も重力で曲げられて、集まるんです。その“光が集まる”っていう様子が、“レンズ”と一緒なので“重力レンズ”って言うんです。

広報:ほぉ~

明石先生:で、自分たちとすごく遠くにある星の間に何か別のものがよぎると、そのレンズ効果によって、普段見えていなかったものが見えるようになるっていう……そういう事象が起きた場合に、どういった風にそれが観測されるのかっていうのを研究していました。

広報:難しい! でも面白そう!

明石先生:学部でやっていたのは「理論研究」で、“こういうような現象が起きたらこういうことが観測されるはずだ”っていうような感じで研究していたんですが、修士課程では実際の観測に興味が出まして、「天文観測」の研究室にいました。

広報:すごく大きい望遠カメラとかで観測したりするんですか?

明石先生:そう思うじゃないですか。でも私が観測していたのは、“人の目では見られない光”なんです。そもそも、感じることができないような光がいまも地球に届いているんですけど、それが見られる望遠鏡です。

広報:……ってことはとてつもなく大きい……?

明石先生:カメラで撮るようなものではなくて、パラボラアンテナですね。野辺山の天体観測所に直径45mの望遠鏡があるんですけど、それを使って、星からやってくる“電磁波”を観測するっていうことをやっていました。

広報:電磁波ってことは、こう、観測するとギザギザっと振れるんですか?(紙にナミナミが書かれるみたいな)

明石先生:電磁波っていうのは、そうですね、そういう風にギザギザって振れるんですけど、なんて言うのかな……その“周波数”、宇宙空間にある物質からやってくるその“周波数”っていうのが、物質によって決まっているんですね。例えば、一酸化炭素の分子から出てくる電磁波だと、だいたい112ギガヘルツとかっていう風にね。周波数っていうのは、要は“音の高さ”みたいなものです。物質によって出てくる音の高さが違うんです。そういうイメージですね。

広報:へぇ~! じゃあそれを45mの望遠鏡で観測して……!?

明石先生:そうです。それが“どれぐらいの強さで地球まで来ているのか”を観測すると、そこにはその物質が、どのくらいの量あるのか、どれぐらいの温度なのかってことが分析することができるようになるんです。

広報:なるほど! 面白くてどんどん聞いちゃいますけど、ほかのことも聞かないと……

明石先生:そうですね(笑)


「“先生”って面白いのかもしれない」

広報:先生になろうと思ったきっかけは何だったんでしょう?

明石先生:先生になろうと思ったきっかけっていうのは、中学のときに出会った、先ほど話した理科の先生ですね。先生を見ていて“先生って面白いのかもしれないな”って思ったのがはじまりですね。大学に入学した理由も、教員免許が取れるからってことでした。

広報:その先生、すごい影響力ですね。

明石先生:そう言われてみるとそうですね(笑)大学院に入って研究に惹かれたときもあったんですけど、やっぱり“自分に何ができるのか”考えたときに、“先生になろう”って決めましたね。

広報:そうだったんですね。では、初心に戻られたんですね。

明石先生:そうですね。


“諦めない”生徒が多い

広報:では、瀧野川の生徒の印象はどうですか?

明石先生:とってもいい生徒たちですね。私、メインの担当は物理なんですけど、物理って嫌われがちな科目なんですよね。なので、できるだけ楽しく授業をしようとしているんですけど、そうできないところ、真面目にやらなければいけない部分もあったりして……でもそういったところでも寝てしまったり、諦めたりする生徒はいなくて。諦めずに授業を受けてくれるので、とてもありがたいですね。

広報:”諦めない”ってすごいですね。

明石先生:はい。すごく頑張ってくれますね。

広報:苦手な生徒も多いとのことですが、授業でポイントにしていることってありますか?

明石先生:そうですね、嫌われがちなので、できるだけ授業を楽しくしています。もちろん、“物理的に面白い”が一番いいんですけど、なかなかそういう話をしても面白いと感じてくれる生徒ばかりではないので、“最初は物理ではなく明石が面白ければいいかな”と思っていますね(笑)

広報:あははは(笑)まずは“明石先生”を入口に!

明石先生:せめて授業は明るくっていうことを意識してやっています(笑)授業の雰囲気を和らげようと心がけていますね。高校2年生以降になると、自分で物理を選択した形になるので、そういった生徒たちには、“より物理的に面白いもの”をやろうと思っています。


「自分の望む未来を実現させたい方はぜひ来てほしい」

広報:では最後に、瀧野川を受験する方へメッセージをお願いします。

明石先生:瀧野川女子学園は、非常にユニークな取り組みをしています。色々な学校があると思うんですけど、ここまで特色豊かで、総合型選抜など、大学入試で戦える武器がある学校もそうそうないと思っています。(12月16日現在までの、今年度の合格実績はこちら)ぜひ、自分の望む未来を実現させたい方は、瀧野川に来てほしいなと思います。

広報:明石先生、ありがとうございました!


“紫色がトレードマーク”の明石先生。この日も紫色のシャツ、紫色のネクタイ、ポケットには紫色のペン、紫色の…と紫色尽くめ。紫色が好きな理由を聞くと、「“理由がない”好き」なんだとか。それって、本当に純粋に好きってことですね……! 尊い!

さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!
これまでの先生インタビューもぜひご覧ください!



2020/12/15

【先生インタビューvol.27】田中先生(情報)に聞きました!

ごきげんよう。

今週も先生インタビューをお届けします! さっそくお話を聞いてみましょう!

田中先生(情報)

自分でプログラムを考え、Webページを動作させる

広報:ごきげんよう。ではさっそく、自己紹介をお願いいたします!

田中先生:はい。情報科の田中です。中学~高校2年生の授業と、高校2・3年生のゼミを担当しています。あとは情報機器の管理などを行っています。

広報:ゼミではどんなことをするんですか?

田中先生:2学期で言うと、コンピューターグラフィックスとジャバスクリプトを学んでもらいました。

広報:ジャバ…ジャバスクリプトとは?

田中先生:“スクリプト”っていうのは“記述”っていう意味なので、簡単なプログラミングだと思ってもらえれば。Webページを表示させるときの動的な動きを作るためのプログラムですね。例えば、Webで何かをクリックしたときに起きる次の動きの処理などですね。

広報:難しそう……(機械に疎い)。

田中先生:プログラムの中ではメジャーな部類にあたるので、いわば“登竜門”ですね。いまの時代、ネットワークとかWebページとか普段どこでも使われているものなので、そうしたプログラムも知らず知らずのうちに接していると思うんです。それを実際に自分でプログラムを考えて、書いて、動作させるっていうことをして、演習しながら学んでいく感じです。「こういう動きをしたらいいんじゃないか」って思うものを作ってもらいます。

広報:すごいなぁ。

田中先生:なかなかハードな内容だったんですけど、生徒は意欲高く、頑張ってくれました。これからまたプログラムを学びたいってなったときの素養になってくれたらいいなと思います。

“ゲームマスター”として、ゲームの運営(ディレクション)をしていた

広報:先生はこれまで別のお仕事をされていたとお聞きしました。先生になろうと思ったきかっけは何だったんでしょうか?

田中先生:いろいろな仕事をしてきたんですけど、「何かが違うな……」と。大学生のときに教職課程を受けていたので、「いまこそチャレンジを」と思って先生になりました。

広報:大学では何を学んでらしたんですか?

田中先生:工業化学ですね。薬品を混ぜるとこうなる、とか、工業プラントを作ったりとかの勉強をしていました。その中でも私が興味を持ったのは“分析”ですね。クロマトグラフィーって言う方法などを用いて、水質検査をするとか土壌検査をするとか、そういった仕事に興味がありました。仕事もそういったものを探していたんですけど、なかなかうまく行かなくて。就職浪人はしたくないなと思っていたところ、当時はまだ聞き慣れない“ゲームマスター”っていう職種があったんです。“ゲームディレクター”って言ったほうがわかりやすいですかね。ちょうどオンラインゲームとかインターネットが出てきたあたりの時期だったんですね。それで、“ゲームの中の世界を管理する仕事”に就きました。

広報:ゲームの世界に!

田中先生:もともとゲームは趣味の一つだったんですけど、仕事になるとは思っていなかったですね。海外資本の会社だったんですけど、日本支社を作るってタイミングにちょうど合って、それで入社しました。そこでオンラインゲーム、ウェブゲーム、スマートフォンのゲームの運営に長いこと関わっていましたね。海外でつくられたゲームを日本仕様に直すという役割で、韓国、台湾、中国など、アジア圏の方と一緒にお仕事をしていました。

「瀧野川の生徒はすごいなと思う」

広報:ではやりとりは英語で?

田中先生:やりとりはしてましたね。でも周りにも話せる人がいたので、おんぶにだっこなところはありました(笑)みんな日本語も上手でしたし(笑)細かいニュアンスを伝えたいときは書いたりして意思疎通を図っていましたね。でも話せたほうが本当はいいので……瀧野川の生徒を見ていると、みんな英語をすごくたくさん話しているので、すごいなって思います。

広報:日本人の英語の先生にも、英語で話しかけていますよね。

田中先生:職員室でも、英語だけで会話しているんですよ。そういう場面に遭遇したら、私も英語で会話に加わるようにしています。“英語だけで話そう”っていう雰囲気をつくれるようにしていますね。

学校という環境を大いに活用してほしい

広報:先生は中学生、高校生時代はどんな生徒でしたか?

田中先生:小学校まで遡(さかのぼ)ったほうがいいかな? 私、小学校のときにはもう身長が165㎝とか、170㎝くらいあったんですよ。

広報:大きい!

田中先生:加えて“元気あふれる問題児”だったんですよ。なので、周りが「武道を学ばせよう」って画策して(笑)近くに武道館があったので、柔道を習うようになりました。で、中学生のときは、中学には柔道部がなかったので野球をしてみたりもしたんですけど、結局放送部に落ち着きましたね。

広報:放送部!

田中先生:そこでカメラとかいろいろな機材をいじったりして、楽しかったですね。子供じゃ買えないじゃないですか、そういう機材って。だからいま、生徒たちには「学校という環境で使用できるものは大いに活用したほうがいいよ」って思っています(笑)

広報:確かに。

田中先生:放送部っていうとコンテストとかあると思うんですけど、私の場合は何か“作品を作る”というよりも、“機材を使う”ほうに興味があって。あとは“周りが何かしているのをサポートする”ことが好きでしたね。そういうの振り返って考えてみると、自分の性格として、誰か・何かをサポートするのが性に合ってるんだと思います。

瀧野川の生徒は本当によく出来る

広報:瀧野川の生徒の印象はどうですか?

田中先生:いろんな生徒がいるな、って思っています。でも、みんな素直ですね。周りの先生も言っていますけど。あとは、“プレゼンなど社会人顔負け”。社会人でもそうそう、新入社員でもプレゼンが上手くできる人ってそうそういないんですけど、瀧野川の生徒は本当によく出来ますね。

広報:みんなKeynoteを使って資料を作って、プレゼンしてますよね。

田中先生:みんな自発的にプレゼンしますよね。すごいな、って思います。あとは、先ほども話したように英語も話しますしね。まぁ、みんながみんなすごいわけではないんですけど(笑)、苦手な生徒たちも負けじと頑張ろうとしていますね。

広報:授業はどうですか? 機械が苦手な生徒もいると思います。

田中先生:結局みんな必要に迫られるとやるようになるんです。iPadなんかは、普段からどの授業でも使っていますけど、みんなこちらが何も言わずとも操作できていますしね。逆に、パソコンの操作がちょっと慣れないみたいですね。

広報:同じ情報科の山岸先生もおっしゃっていました!

田中先生:iPadはスマートフォンと近くて、感覚的に使えるのかもしれないので、知っているか・知っていないかな部分もあるかもしれないですね。“使い慣れない”って言うのかな。なので、せっかくあるMacルームをどんどん活用して、たくさん触ってほしいなと思います。パソコンのほうが細かい作業だったり、いろいろなことが出来たりしますし、何より、機械って“道具”なんです。それを使いこなせれば、どんどん可能性が広がっていくので、挑戦してほしいですね。それに、情報の授業はコンピュータ以外のことも含まれるので、これからどんどん伝えていけたらいいなと思っています。

「好きなことに思いっきり挑戦しよう!」

広報:では最後に、受験生にメッセージをお願いいたします。

田中先生:私がこの瀧野川とご縁を感じたのは、「好きなことに思いっきり挑戦しよう!」という考え方にピンときたからなんです。この考え方、すごく好きなんですよ。指導にあたる一教員としても、みなさんをサポートできるように全力を持って頑張っていますので、ぜひ、瀧野川でお会いできるのを楽しみしています。

広報:田中先生、ありがとうございました!

さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!
これまでの先生インタビューもぜひご覧ください!


2020/12/12

【先生インタビューvol.26】椎名先生(英語)に聞きました!

ごきげんよう。

本日も先生インタビューをお届けします! さっそく参りましょう!

椎名先生(英語)

読みたい漫画があったら“プレゼン”して買ってもらっていた

広報:ごきげんよう! よろしくお願いします。

椎名先生:よろしくお願いします。

広報:ではさっそく、自己紹介をお願いします!

椎名先生:はい、英語科の椎名です。受け持っている学年は高校2年生・3年生で、Communication Englishを担当しています。英語の4技能、「読む・聞く・話す・書く」をくまなくやっているという感じです。

広報:なるほど。部活はいかがですか?

椎名先生:部活は漫画研究部の顧問をしています。

広報:あかつき祭では部誌を発行していましたね。先生自身は漫画はお好きなんですか?

椎名先生:漫画を読むのは好きですね。母が漫画が大好きだったので、その影響で読んできました。家にたくさん漫画があるんです。新しい漫画が読みたくなったら、その内容を母にプレゼンして、それが良かったら買ってもらえたんです。

広報:すごいシステム! 


“何でも係”を通じて成長できた

広報:先生は中学、高校生時代、どんな生徒でしたか?

椎名先生:あんまり記憶にないんですけど……「天真爛漫」「猪突猛進」っていうのはよく言われていたような気がします。いい言葉なのかどうかはわからないですけど(笑)

広報:(笑)

椎名先生:中学のときは吹奏楽部でパーカッションをやっていました。「パーカッションをやりたい!」って立候補したわけではなかったんですけど、気が付いたら担当になってましたね(笑)でも、マリンバとかシロフォンとかが好きでした。

広報:“シロフォン”とは?

椎名先生:グロッケンとか、鍵盤系の楽器ですね。それが好きでしたね。

広報:高校のときは何をしていたんですか?

椎名先生:高校は、クラスが特進コースだったので、私も周りの仲間も、部活動に入っていなかったんです。日によっては授業が7限目まであったんですよ。なので、部活によっては、入部してもレギュラーになれないよって言われてしまって。

広報:じゃあ勉強を頑張っていたんですね。

椎名先生:そうですね。勉強は高校の頃から頑張り始めましたね。同じくらいの学力の仲間が集まったクラスだったんですけど、ちゃんとやらないと置いていかれちゃうんです。負けず嫌いだったので、それなりの成績が欲しかったですし。あとは……高校生のときは3年間ずっと学級副委員長をしていました。

広報:どんなことするんですか?

椎名先生:担任の先生も3年間ずっと一緒だったんですけど、"その先生に言われたことを全うする"、いわゆる雑用係でしたね(笑)なんでも屋さんでした。呼ばれたらどこへでも行きます! って感じで。でもそれがすごく嬉しかったんですよね。担任の先生が頼ってくれるっていうか、必要としてくれるっていうか……「やってみたら?」っていろいろなことを投げかけてくれるのが嬉しかったんです。嬉しかったので「やってみよう!」「がんばってみよう!」って思えて、それで成長することができました。充実した高校生活でしたね。


“先生になりたい”気持ちがどんどん強くなっていった

椎名先生:大学でもゼミ長をやったりして、何かと“まとめ役”をすることが多かったですね。高校生のときはあだ名が「お母さん」だったりとかして’笑)、なんて言うか、“面倒見が良くありたい”“誰かを助けたい”っていう気持ちが強いタイプだったのかな、って思います。

広報:いつくらいから英語の先生になろうと思い始めたんですか?

椎名先生:う~ん、きっかけは、高校生のときに放課後みんなで居残って勉強してたんですけど、そのときに「椎名、教え方上手だね」「先生みたいだね」って言われたことがあって。それがほんのり頭の中にあったのかなと思うんです。それで、大学に入学して、教職課程があったので挑戦してみようと。なかなかうまくいかないこととかもあったんですけど、それでも“やっぱり先生になりたいな”って気持ちがどんどん強くなっていったんです。一般的に、先生になる人って小さい頃から先生を目指してっていうのが多いと思うんですけど、私の場合は徐々に先生になりたいって自覚していった感じです。

広報:そうだったんですね。

椎名先生:大学は英米文学科で、学院に行ったり、留学とかもして……これ言っちゃうと歳がバレてしまいそうですけど(笑)つまるところ、諦められなかったんです。“先生になりたい”って気持ちがどんどん強くなっていって、やれるところまでやってみよう、もっともっと英語力を身につけようっていうことで、頑張りましたね。


“一生懸命表現しようとする気持ち”を大切にしたい

広報:では少し話題を変えまして……瀧野川の生徒の印象はどうですか?

椎名先生:多くの先生が言っていると思うんですけど、本当に素直なんです。中学生、高校生くらいの年頃って反発心なんかも出てくると思うんですけど、瀧野川の生徒は挨拶もきちんとするし、話しかけるといつも笑って応えてくれるし、本当に素直で心のやさしい生徒が多いなと思います。あと、担任をしているクラスを見ていても、みんなで協力することができたり、何か困っている人がいれば、すぐに声を掛けられる親切心があるっていうのかな……そういった気持ちがすごく強いので、本当にやさしいなって思います。

広報:助け合うことができる生徒が多いんですね。

椎名先生:クラス担任をしていて、至らないところもあると思うんですけど、それでも「先生!」って言って近況だったり悩み事なんかを打ち明けてくれるんです。そういうときに、“あぁ、よかった、生徒たちの力になれているのかな”って思えますね。

広報:授業はどうですか? 英語って、苦手に感じる生徒が多いイメージですが……

椎名先生:そうなんですよね。なので私の場合は、“間違ってもいいよ!”って言っています。第二言語ですし、多くの生徒にとって母語である日本語だって難しいのに、ましてや英語なんてもっと難しいです。なので、“間違ってもいいから、自分の意見を言ってみてね”って話しています。私も留学したときに、どうしても尻込みしてしまったときがあったんですけど、担当の先生に「間違ってもいいよ、母語でも間違えることはあるんだから」「間違ってもいいからゆっくり自分の言いたいことを言ってみて。受け止めるから」って言ってもらってすごく楽になったんです。なので、私もそれを実践しようと。間違ってしまっても、それを先生が直してくれるし、間違いから何か発見することもあるし、成長するので。“一生懸命表現しようとする気持ち”を大切にしたいと思っています。

広報:先ほど同じ英語のジョシュア先生にインタビューしたんですけど(その模様は来週お届けします!)、ジョシュア先生にも“It's OK to make  mistakes.”って言われました。

椎名先生:そうですよ! 私も“Don't be afraid of making mistakes.”って言われましたね。間違えるのは当然のこと。だってまだ、習っている最中なんですから。だから恥ずかしがらずに、どんどん意見を言ってみていう風に言っています。

失敗しながら学んでいってほしい

広報:では最後に、受験生にメッセージをお願いいたします。

椎名先生:入学するまでは怖いと思うんですけど、入るとみんな、先生たちも先輩たちもみんなやさしく受け止めてくれると思うので、安心して入学してほしいです。そこでいろいろ挑戦して、失敗しながら学んでいって、頑張ってほしいです。挑戦することもそうだけど、間違えることにも先生たちは寄り添ってくれます。寄り添って、一緒に前へ進んでくれる人たちが集まっている学校です。なので、安心して受験してほしいですし、安心して瀧野川の生徒になってほしいです。そして何より、そういう環境で過ごしてほしいです。

広報:椎名先生、ありがとうございました!

「瀧野川の生徒は吸収する力がすごい。吸収して、学んで、実践してみようという気持ちが強いです」と話してくれた椎名先生。去年カナダ語学研修に同行した際に、生徒たちの適応力の高さにとても驚いたそうです。

さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!
これまでの先生インタビューもぜひご覧ください!


2020/12/09

【先生インタビューvol.25】藤嶋先生(保健体育)に聞きました!

ごきげんよう。

本日も先生インタビューをお届けします! さっそくお話を伺ってみましょう! 

藤嶋先生(保健体育)

陸上部では七種競技にも挑戦

広報:ごきげんよう。先生、どうぞよろしくお願いします!

藤嶋先生:よろしくお願いします。

広報:ではさっそく、自己紹介をお願いいたします!

藤嶋先生:はい。藤嶋です。保健体育科で、いまは中学生から高校生まで、全学年担当しています。主に球技科目を教えています。部活はバレーボール部の顧問をしています。

広報:先生は何かスポーツをされていたんですか?

藤嶋先生:小学生のときは6年間バスケットボールをしていました。でも、長いのは陸上なんです。中学1年生から大学4年生までやっていました。

広報:種目は何だったんですか?

藤嶋先生:走り幅跳びをしていました。ただ、走り幅跳びだけをやっていたのは大学の4年間だけで、中学生のときは長距離をやっていましたし、高校生のときは“七種競技”っていうのをやっていました。

広報:七種競技!

藤嶋先生:はい。二日間で7種の競技をするんです。記録をポイント換算して、その累計で順位を決めるんです。いまだと、タレントの武井壮さんがやっていた種目なので、それでピンとくる方もいるかもしれませんね。

広報:聞いたことあります! 7種は、どんなことをするんですか?

藤嶋先生:まず一日目にハードル競走、走り高跳び、砲丸投げ、200m走をします。二日目は走り幅跳び、やり投げ、最後に800m走です。

広報:ハードですね!

藤嶋先生:ハードです(笑)でもいろんな種目ができたので、楽しかったです。

広報:そのなかでも大学では走り幅跳びを?

藤嶋先生:はい。7種のなかでも一番記録が良かったので、もっと追究してやってみたいなってことで、大学では幅跳びだけやっていました。

※謙遜されて仰らなかったですが、
 藤嶋先生は日体大時代時、日本選手権で、走り幅跳び・日本8位の記録の持ち主です!
 そしてなんと、日体大の陸上部では主将を務めていらっしゃったとのこと! すごい!


バスケのチームで出た“駅伝”がきっかけ

広報:中学、高校時代はどんな生徒でしたか?

藤嶋先生:あんまり学校の先生が言うことじゃないんですけど(笑)、もう、とにかく、“部活だけを学校にしに行っている”ような感じでした(笑)

広報:あははは(笑)

藤嶋先生:とにかく部活に打ち込んでましたね。中学のときは朝練もあったので、早く行って練習をして、授業を受けて、放課後また練習してって感じで。中学から陸上を始めたので、陸上ばっかり! でした。

広報:ちなみに、陸上を始めたきっかけって何だったんでしょう?

藤嶋先生:小学校のときはバスケットボールをやっていたってさっきお話ししたんですけど、そのチームで、冬に“駅伝”に出たんですよ。バスケットボールもいっぱい走るスポーツなので、結構早くて、出た大会で上位に入ったんです。そのことを中学の陸上部の先生がチェックしていて、体育館に来て、声をかけてくださったんです。「よかったら、陸上部も考えてみない?」って。

広報:スカウトだ!

藤嶋先生:そうなんですかね(照笑)ありがたいことに(照笑)最初はバスケットボールを続けたいって気持ちもあったんですけど、仲が良かったバスケの先輩が陸上部に入っていたこともあって、安心だし、先生も熱心に誘ってくださったので、「こんなに声をかけてくれるなら、挑戦してみようかな」って思ったのがきっかけですね。

広報:始めてみたら、面白かった?

藤嶋先生:そうですね。「あれ? 楽しいかも!」って。で、気づいたら中学1年から大学4年まで続けていましたね(笑)

広報:朝練も放課後練もしていたら、かなり大変だったんじゃないですか?

藤嶋先生:授業中とか……睡魔と闘っていましたね(笑)でも友達に恵まれていたので、みんなに「起きて!」って助けてもらったり、先生も、学校も部活に力を入れていたので、部活を頑張っているからってことで、ウトウトしててもやさしく声をかけてくれました(笑)


中学のときの体育の先生に憧れて、教師の道を目指した

広報:体育の先生になろうと思ったきかっけは何だったんでしょう?

藤嶋先生:もともと、小さいときからスポーツが好きで続けてきたので、何かしらスポーツに関わる仕事がしたいなっていうのはずっと思ってきたんですけど、陸上部に勧誘してくれた中学の先生が、その先生が体育の先生だったんですけど、その先生に憧れて。

広報:そうだったんですね!

藤嶋先生:すごい“熱血”だったんです。本当に、生徒と同じ目線で話してくれて……例えば大会に出ていい結果が出たら一緒に喜んでくれるし、悔しいと一緒に泣いてくれるような、そんな熱い先生だったんです。なのでその先生を見ていて、「こういう先生になれたらいいな」って思ったのが、一番最初に先生になろうと思ったきっかけでしたね。

広報:大きな存在だったんですね。

藤嶋先生:その先生に憧れて、大学も同じ体育大に行こうと思って(笑)中学のときからその体育大に行くって決めてましたね。

広報:おおおお!

藤嶋先生:本当に“その一校しか”考えていなくて、「そこしか行かない!」って(笑)

広報:先生の背中を追いかけて!

藤嶋先生:はい(笑)で、無事合格できて、入学するときにはその先生に「先生と同じ大学に受かりました」って報告しました。そしたらすごく喜んでくれて。

広報:先生も嬉しいと思います。自分に憧れて体育の先生を目指すようになっただけじゃなくて、同じ大学の後輩にもなったわけですからね。

藤嶋先生:本当に喜んでくれましたね。


瀧野川の生徒の“前向きさ”から学ぶことも

広報:では少し話題を変えまして……瀧野川の生徒の印象はどうですか?

藤嶋先生:まず、自分から挨拶をしてくれる生徒がすごく多いなっていうのが印象的ですね。挨拶するって、先生にとは言え、自分から声をかけるのって勇気がいることだと思うんですけど、自分から「ごきげんよう」って挨拶してくれるのが、すごくいい生徒たちだなって思います。あとは、どの先生も言われていると思うんですけど、やさしい生徒が多いです。

広報:授業ではどうですか?

藤嶋先生:授業だと、正直体育は苦手な生徒も多いと思うんですけど、それでも“できないこともできるようになりたい”って意欲がすごくて、「どうしたらもっと上手くなれますか?」って聞いてくれたり、実技テストの前に「少し早く来て練習していいですか?」って言ってくれる生徒が多くて。

広報:なんてポジティブな……!

藤嶋先生:私なんかは勉強が苦手で、普通だったら“苦手なものから逃げたい”って気持ちになることが多いと思うんですけど、瀧野川の生徒たちは「苦手だから練習させてほしい」とか、そういう意欲をもった生徒がすごく多くて、素晴らしいなって思いますし、私自身も「そういう気持ちを忘れちゃいけないな」って、学ぶことがありますね。

広報:苦手だと、“やらなくていいならやりたくない”って思ってしまうのが普通な気がするので、“苦手だからこそやりたい”って思えるのは本当にすごいです。

藤嶋先生:そうなんです。できればやりたくないって思うのが普通なのかなって思うんですけど、瀧野川の生徒たちはそういう素振りを見せないですね。すごいです。

広報:授業でポイントにしていることって何かあったりしますか?

藤嶋先生:そうですね、まずは安全管理。怪我をさせないように配慮しています。やっぱり、怪我をして痛い思いをしまうと、どんなに楽しい授業をしていたとしても”痛かった”って印象が強くなってしまうと思うんです。だから安全管理は大切にしています。あとは、特に苦手な生徒向けだと、やってもできないから体育ってどんどんつまらなくなってしまうと思うんです。例えばボールキャッチができなくて、パスが続かないからつまらなくなって、やりたくないって気持ちになる。

広報:できないと、やる気が出なくなってしまうかもしれないですね……。

藤嶋先生:なので、多少難易度を落としてでも「できる!」っていう成功体験を、ほんのちょっとでもいいので「私にもできるんだ!」ってわかってもらえるようにしています。できる生徒からしたら簡単な動きかもしれないんですけど、そこは楽しくやってもらえるように。ゲームの要素を織り交ぜながら、みんなで楽しく取り組めるようにしています。全員が成功体験を得られるようにしていますね。そうしたら「体育楽しい!」って思ってもらえるようになるんじゃないかと思っています。そうしたら難易度を上げた、次のステップにも進めるようになると思うんです。興味が引けると思うんですよね、一回でも成功すると。


不安な気持ちがあっても、安心して入学してほしい

広報:では最後に、受験生にメッセージをお願いいたします。

藤嶋先生:私もまだ瀧野川に来て日が浅くて、最初は不安な気持ちがあったんですけど、生徒たちも先生たちもみんな明るくて、親切に接してくれました。なので、受験生・新入生の方たちも不安な気持ちがあると思うんですけど、みんな明るくて親切にしてくれる学校なので、安心してほしいです。あとは生徒と先生の距離がとても近いです。職員室の前とか、生徒がいっぱいお話しに来ています。私が中学・高校生のときはあんまり職員室には行かないようにしていたというか(笑)、“行きづらいな”って思っていたんですけど、そういう雰囲気が一切無い学校なので、ちょっとした悩み事もそうですし、授業でわからないことがあっても聞きやすいし、先生と話しやすい環境がつくられているので、安心して過ごせる学校だと思います。

広報:藤嶋先生、ありがとうございました!


さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!
これまでの先生インタビューもぜひご覧ください!


2020/12/07

【先生インタビューvol.24】山岸先生(情報)に聞きました!

ごきげんよう。
本日も先生インタビューをお届けします! さっそく参りましょう!

山岸先生(情報)

放送同好会では、朗読やナレーションの指導をしています

広報:ごきげんよう! では、さっそく、自己紹介をお願いいたします。

山岸先生:はい。情報科の山岸です。中学1年生~高校3年生の授業やゼミまでを担当しています。部活動は放送同好会の顧問をしています。放送同好会では、主にナレーションだとか朗読だとかの指導をしています。

広報:あかつき祭での朗読の発表、聴きました!(あかつき祭での様子はこちら)私も高校時代放送部に所属していて朗読やナレーションをしていたので、とっても親近感があります(笑)

山岸先生:そうでしたね! 部員も言っていました。

広報:ちょっと衝撃的だったのが、朗読の際に手にしていたのが“iPad”で、紙の原稿ではなかったんですよね。

山岸先生:そうですね。原稿がもうiPadというね。でも、紙の原稿にも良さがあって。“下読み”なんかは紙のほうが良かったりもするんです。データだと、内容を共有したり保存したりがとかは簡単にできるんですけど、注意点とかのメモを書き入れた原稿を“見ながら読む”となると、どうしても画面だと目が滑ってしまうところがあるので。

広報:なるほど。それぞれに良さがあるんですね。

“部活”は学生のときにしかできない

広報:山岸先生は中学、高校時代、どんな生徒でしたか?

山岸先生:そうですね。中学生のときはバドミントン部で、高校生のときは吹奏楽部と写真部に入っていました。中学時代はバドミントン部で副部長をしたり、学級委員も、ずっとやっていましたね。クラスの中心人物では全くもってなかったんですけど(笑)どちらかと言うとおとなしくて静かな、一人で本を読んでいるようなタイプだったんですけど、部活は頑張っていましたね。区大会では優勝したり、その上の大会でも上位に入ったりしてました。

広報:すごい!

山岸先生:シングルスもダブルスも、どっちもやってました。基本はダブルスだったんですけど、両方やってましたね。なので、中学時代は部活漬けでした。気持ち的にも、バリバリの運動部でしたね。

広報:高校ではバドミントンをやらなかったんですか?

山岸先生:中学のときは学校のすぐ裏に住んでたんでよかったんですけど、高校になって電車通学になったんです。それで……汗だくのまま電車に乗るのは嫌だなって(笑)

広報:そういう理由!(笑)

山岸先生:いまならね、工夫すればいろいろな方法があると思うんですど、当時はもう、汗だくのまま電車に乗りたくなかったんですよね。なので運動部はやめようと思って。でも中学のときの先生が、「部活は学生のときにしかできないから、バドミントン部は続けなくてもいいから、部活はやったほうがいいよ」と言っていたので、部活自体は続けました。

広報:いろいろな部活があるなかでも吹奏楽部と写真部を選んだ理由はなんだったんでしょう?

山岸先生:吹奏楽部は、入学式のときに演奏をしていたんですね。それがすごくかっこよく見えたんですよ。特にティンパニーがものすごくかっこよく見えまして。

広報:ティンパニー!

山岸先生:最初は“軽音楽部でギター”をって思っていたんですけど、そのティンパニーを見たら「うわ! かっこいいな!」ってなりまして。でも、吹奏楽部に見学に行って、「希望の楽器は何ですか?」って聞かれたときにティンパニーって言わなかったんですよ(笑)

広報:えっ! どうしてですか?

山岸先生:ティンパニーって、一人でやる楽器だなって思って。ちょっと目立ちたくないなと思って(笑)なので、昔からかっこいいなと思っていたアルトサックスにしました。人数がたくさんいるので(笑)

広報:(笑)写真部はまたどうして?

山岸先生:写真部は、正直、顧問の先生が素敵だったから……っていうだけです(笑)でも、結果的に、芸術的な感性というか、感覚的に何かをするっていうことができたので、よかったです。楽しかったですね。いまでも一眼レフカメラで写真を撮ったりしています。

広報:写真、続けてらっしゃるんですね。 どんなものを撮るんですか?

山岸先生:なんでも撮りますよ。でもやっぱり、風景が多いですね。最近は難しいですけど、近場だと鎌倉とか、ちょっと遠出するならば奈良とか京都とか。古都、古い町並みを撮るのが好きですね。

卒業論文は「CM」について

広報:先生になろうと思ったきっかけって何だったんでしょうか?

山岸先生:そうですね、長くなっちゃうんですけど……(笑)

広報:どうぞどうぞ!

山岸先生:もともとは、高校時代の先生に勧められたんです。「教員免許は取っておいたほうがいいよ」って。当時、私には別の夢があったんですけど、手に職をつけておいたほうがいいっていうことで。

広報:なるほど。大学ではどんなことを学ばれていたんですか?

山岸先生:大学は、専門が情報で、専攻がデザインですね。人間社会学部、社会情報学科っていうんですけど。そのなかの社会情報学なので、ものすごく広いんですね。社会学系の情報なので、文系なんです。分野もたくさん分かれていて、その中でデザインを専攻していました。Webデザインだとか、映像デザインだとかっていうので、私は映像をやっていました。

広報:では、ご自身で制作もされたりとか?

山岸先生:はい。撮って、編集してとか。卒業論文は「テレビコマーシャル」についてでした。“15秒、30秒という時間のなかにいかに思いを詰め込むか”とか、“好感が持てる映像とは”とかっていうことを研究しました。

広報:楽しそう!

山岸先生:そうですね。実際に自分でCMを1本作って。絵コンテから、全部やりました。なのでいま、放送同好会でもドラマを作ったりしているんですけど、それも絵コンテからやっています。大変は大変ですけど、楽しいですね。

広報:いいな~。あ、話を戻しますね(笑)高校の先生に勧められて、教職を取って……

山岸先生:はい、でも大学卒業時には免許持ってなかったんです。新しい大学だったので、本当は一つ下の学年からしか教職は取れなかったんですけど、無理矢理授業を取ったんです。なので、4年生までに教育実習ができなかったんです。なので、教育実習以外の授業を全部取って卒業して、就職しました。

広報:あ、就職されたんですね! 

山岸先生:そうなんです。大学で助手をやっていました。そこで大学生に教えてましたね。でも、年数を重ねていったら、だんだんコンピューターの管理を任されるようになってきたんです。サーバーだったり、教室管理だったり。だけど、私は“人と接していたい”な、と。なので一回辞めて、大学に戻って教育実習を受けるようにしたんです。

生徒と先生が互いに歩み寄って、いい関係ができている

広報:では、瀧野川の生徒の印象はどうですか?

山岸先生:素直な生徒が多いです。本当に素直だと思います。毎日接していて、良くも悪くも考えていることは全部わかりますね(笑)でもそれは、生徒たちが安心して、心を開いてくれているからだと思っています。

広報:自然体でいられる学校ってことですね。

山岸先生:よく、受験生やその保護者の方に「生徒と先生の距離が近いですよ」って話をしているんですけど、本当にそう思います。それは先生がどうこうっていうことだけじゃなくて、生徒も同じように、“お互いの歩み寄りの結果”いい関係ができているんじゃないかと思っていますね。

広報:放課後とか、職員室前で生徒と先生がお話ししている様子、本当によく見かけます。

山岸先生:そうですね。すぐに生徒でいっぱいになっちゃいますね(笑)

広報:私は“職員室=怒られに行く場所”って思っていたので、学生のときは近づかなかったです(笑)

山岸先生:そういう話、受験生からも聞きますね。やっぱり職員室って“怒られに行く場所”ってイメージがあるみたいで、いつも以上に畏(かしこ)まってるみたいです。でも、瀧野川の生徒はそうじゃないですね。気軽に来ています。もちろん、言葉遣いとか、そういうところはきちんとしてもらいますけど(笑)

授業では毎回、タイピングをしています

広報:授業はどうですか? 瀧野川にはMacルームがあって、そこにiMacが完備されていますが、その操作、慣れるものですか?

山岸先生:実は、これは日本全体に言えることだと思うんですけど、パソコン離れがすごいんです。やっぱり、みんなスマートフォンを持っていて、タブレットを小学校、中学校で使ってきているっていうのがあるので、iMacの操作というより、パソコンの操作に慣れていない生徒が多いですね。いま、瀧野川では一人一台iPadを持って授業をしていて、それにはすぐ慣れて、使いこなせるようになるんですけど、パソコンの、マウスをクリックすることとかに慣れなくて、少し時間がかかりますね。

広報:そうなんですね。

山岸先生:なので、とにかく“タイピング”をするようにしています。ホームポジションから確認をして、毎時間タイピングの練習をしてから授業に入っていますね。タイピングが嫌になっちゃうと、パソコンを触らなくなってしまうと思うんです。スマートフォンだとフリックでパッパッとやっちゃうので、キーボードの位置を覚えないというのがあるので、それを覚えてもらうのと、指使いを覚えてもらうのとっていうので。ゲーム感覚でタイピングをやって、抵抗感を無くしたいなと思っています。

広報:なるほど。

山岸先生:それから、iMacにもWindowsにも慣れてほしいので、Macでの操作だけでなく、Windowsのときはどうするのかについても伝えています。

学校は良い・悪いではなく、“合ってるか・合っていないか”

広報:では最後に、受験生にメッセージをお願いいたします。

山岸先生:私、受験生に必ず伝えているのが、「学校は良い・悪いではなくて、合ってる・合っていないだから、よく見てほしい」ってことなんです。“自分に合っているか”ということをちゃんと見極めてほしいなと思っています。一度でも瀧野川を見てもらえたら、きっと好きになってもらえると思います。あと、女子校にはいろんなイメージがあると思うんですけど、瀧野川は素直な生徒が多くて、加えてみんなマイペース。みんなが自分のペースを持っていて、相手のペースも尊重しています。だからみんなマイペースでいられる。ケンカをすることもあるけど、ちゃんと仲直りします。きちんと話し合いをするんです。そういう意味でも女子校って、ありのままでいられていいんじゃないかって思います。

広報:山岸先生、ありがとうございました!

さて、次回はどんな先生が登場するでしょうか? お楽しみに!
これまでの先生インタビューもぜひご覧ください!